Nostalgic Dream Girl

この心臓を君に捧ぐ/220712 一部再公開

思わず君の名前を呼ぶ もはやこれまでのようだ

 2018年9月8日は私にとって決戦の日でした。何と戦うかって?そりゃあ勿論自分の心とですよ。なんてったって会うのが2016年12月25日振りでした。いやもう本当にめちゃくちゃ緊張してた。完全に胃痛の一因だった(今は治りました)。

 まず電車降りて10秒で知ってる顔と出会ったのがめちゃくちゃ面白ポイントだった。普通会ったら「あ〜!○○ちゃん〜♡」みたいな感じになるじゃないですか、先月会ったとはいえ偶然会ったらそうなるじゃないですか、普通。私と彼女は普通ではなかった。目が合った瞬間笑いのビッグバンが起きた。なんか分かんないけどめちゃくちゃ面白かった。
 人生で初めて降り立った岸和田駅なか卯と商店街と田舎にありがちな馬鹿でかいモールがあったことだけ覚えてるけど本当に何もなかった。多分短いスパンで箱抑えようとした結果のあの箱だったんだと思うんだけれど私はホールじゃなくてライブハウスが良かったです!!!!!!!!!!!!!!!!(腹の底からの大声)

 まあなんか色々あって、数年振りに仲良しズが揃いました。伊東さんのおかげで仲良くなれた素敵な人間達。あまりにも人として色んな意味で最高に面白いので恐らく彼女達は4人とも人間ではないと思うんだけれど、まあ兎にも角にもとても大切な友達。こんなろくでもない女の面倒をずっと見てくれてて甘やかしてくれて叱ってくれるとても良い友達。
 5年前に「10年後また笑って話せるそんな仲間でいようね〜」って冗談半分で言ってたけど折り返し地点来ちゃったな。これあと5年どころかずっと仲良いやつだな。私達のいいところは、多分おばあちゃんになっても伊東歌詞太郎(フルネーム)は変わらず伊東歌詞太郎(フルネーム)で、私達はずっと些細なことで笑っていられて、それは全部伊東歌詞太郎(フルネーム)のおかげだね〜って言えるところ。私は嬉しい。

 そう、そんなわけで私達は伊東歌詞太郎さんに会いに行きました。イン浪切ホール。駅から地味に遠かった。


 今日こそは泣くまい、と意気込んで臨んだんですが、初手がアカペラだと思ってなくて私は思いっきり泣いた。いや、あれは泣いちゃうでしょ。
 あれは伊東さんが世界一かっこいいロックスターである証明で、あれは伊東さんの音楽が最高に大好きだと実感できる歌で、あれは一瞬であのホールを伊東さんの色に染めちゃえるような、そんな歌だった。
 伊東さんが音楽をやれること。音楽に触れられること。歌を、歌えること。それは伊東さんにとっての最上のものであると同時に、私達の最上の喜びでもあるから。伊東さんが楽しそうに音楽やってる姿を見ると、それだけで嬉しくて嬉しくて涙が出ちゃうんだ。なんかもう、多分細胞がそういう風になってる。最も初めにあの人の歌を聴いた時に、きっと身体が作り変えられてしまったのです。

 音楽に愛された彼が、音楽をやっている時の姿が好きです。音楽に触れている時の、幸せそうな顔が好きです。本当に嬉しそうに、楽しそうに歌を歌っている時のあの声が、ブレスが、マイクを持つ手が、マイクのコードを持つ反対の手が、リズムを取る足が、あの笑顔が。音の渦に飲み込まれてゆくその姿は、世界の何よりもきらきらと輝いていて、正しくそれはずっと私の宝物で。私の心臓に直接届いてくるその歌声を聴くために私の耳はあり、その姿を見るために私の両方の目はあり、そのリズムを感じるために私の身体はあり、その全てを記憶するために私の脳はある。そして、そのかっこよさを、素晴らしさを、熱を、まだ伊東さんの音楽に出会っていない誰かに知ってもらうために、この口とこの言葉は存在する。本気でそう思えるくらい、私はきっとこの先もずっと伊東さんが好きで、あの音楽を信じている。

 カナリア・シンデレラという曲があります。本当に本当に、すごく好きな曲で、大切な曲で、いつも泣く曲です。ばずじーさんは天才だよ。半端ないって(元ネタを詳しく知らない)。
 私は、私達は、伊東さんの声に正しく恋をしている。迷わずに歌うその姿に、恋をしている。叶うなら、伊東さんが死ぬその瞬間まで、私は伊東さんに歌を歌っていてほしい。あの人が愛した歌を、信じた音楽を、歌ってほしい。奏でていてほしい。

 ピエロの「客席に見せない仮面の下の 貴方が隠した素顔を見せて」で目元を手のひらで隠す伊東さんを見た瞬間に崩れ落ちそうになった。割と泣いた。歌い方のクセがちょっと変わったり、MCが下手になったりしてたけど、あの人は何も変わってなかった。北極星の「ようこそ」で両手を広げるところも、変わってなかった。中指は立てるようになったらしいけど(嬉しいことに前の人の頭で私は目撃していない)、私が好きになった伊東さんはそこにいた。ずっとそのままだった。ピエロ、2013年のカウントダウンライブで歌ってたなあ。会場のサイリウムが一気に緑色になったのを見て驚いた顔をしてたのがめちゃくちゃ印象的でずっと覚えてる。


 こう、上手くは言えないんですけど、クズの本懐から引用するならこの世に存在する美しいものは全て伊東さんの歌声を表現するためにあるんだと思います。元ガチ恋勢なのでもう本当、こういうことを言うのはすごくアレなんですけど、私もうあの人の白さも細さも顔も性格も髪色も身長も服装ももう本当に何もかもがめちゃくちゃかっこよく見えちゃうしめちゃくちゃ好きなんですよ!!ええ!!もう開き直っちゃうぞ!!私なんだかんだ言って伊東さんのことめちゃくちゃ好きです!!!!すみません!!
 でももうきっと全力で追いかけることはできないんだと思う。全通とかなんとか、多分もうできない。でもそれは何に対しても一緒。毎日心臓が痛くなって、毎日泣いて、でもやっぱり好きだからって理由だけで駆け抜けられた日々にはきっともう戻れない。あれだけの熱量を、私はかつて向けていた伊東さんにも伊東さん以外にももう向けられない。好きという気持ちだけあればそれで十分すぎる理由だけれど、私は好きという気持ちだけで動くにはあまりにも大人になってしまった。年齢的な意味ではなく、精神的な意味で。
 私は伊東さんに夢を託していた。託して、って言われたから、託していた。もし夢がないのならその夢を俺らに託してください、っていつかのライブで言われたから。私は夢を彼に預けた。それよりずっと前から伊東さんそのものが夢ではあったけれど、その言葉によって私の夢は伊東さんそのものから伊東さんに託したもの、になった。でもね伊東さん、私もう大丈夫だよ。夢と呼べるほど大層なものではないけれど、ちゃんとやりたいことを、叶えたいことを見つけられたから。だから、だから大丈夫だよ。私の夢を背負ってる自覚なんてなかったと思うしむしろあったら気持ち悪いなって思うけど、預けてた未来は、託してた夢は、背負ってもらってた希望は、伊東さんのものじゃなくて私のものにするよ。ちゃんと。ひとつひとつの駅に停車していくあなたみたいに、私もひとつひとつちゃんと積み重ねていくよ。頑張るよ。結局私は生き方さえあなたを見習ってしまうけれど、でも私はあなたの生き方が好きだから、私もそうやって生きたいって思ったから、後押ししてもらったから、だから頑張るよ、頑張れるよ。
 だから、織姫と彦星みたいに、年に一度歌ってる姿を見れたらそれで十分。今回は1年以上空いちゃったけど、定期的に会いに行こうと思いました。伊東さんに会ったらね、未来のことを考えられるの!ああしようこうしよう、って思えるの。
 死にたくて死にたくて苦しい夜にも、声を上げて泣けなかった夜にも、眠れなかったまま迎えた朝にも、どんな時にもイヤホンからはあなたの音楽が流れていたよ。あなたの音楽に救われ続ける人生だったよ。きっとこれからもそう。行き詰ったり、迷ったり、止まったりすると思う。でもきっと伊東さんの音楽が全部吹き飛ばしてくれる。背中を押してくれる。君の好きなように生きていいんだよ、って伝えてくれる。伊東さんは私に本当に本当にたくさんのものをくれました。いつか恩返ししたいなあ。

 少し話は脱線してしまったけれど、伊東さんに出会える人生で良かったなって心の底から思うし、伊東さんの音楽を好きになれて良かったなって思うし、伊東さんが音楽を続けられることが本当に本当に嬉しいです。神様も伊東さんもなんかもう世界中全部ありがとう。明日からもとっても前向きに、ポジティブに、私らしく、楽しんで生きます!ねえ伊東さん、私あの時死ななくて良かったや!だって今、こんなにも生きるのが楽しいんだもの!ありがとう!

優しい声で誘惑わせないで 貴方のモノと妄想わせないで

 

 全部捨てれると思ってた。もう全部捨てたんだと思ってた。
 私はあの人のことが大好きで、大好きで大好きで仕方ないから、どうしたって諦めきれないから今も生きててこんなになって、それでもまだ好きなままなんだってずっと思ってた。
 でも本当は全然そんなことなくて、あの人のためだけに生きてたのなんて2013年と2016年だけで、結果私はしんどくなってやめちゃってた。好きだけで生きてきたのに、それに疲れてやめちゃってた。平気でやめられる自分がいた。もしかしたら好きじゃなかったのかも。でも多分本当に好きじゃない人ならここまで考えないと思う、本当に本当に好きだから、だから多分こんなに苦しくなって、悲しくなって、でもやっぱり好きだから、ごめんね、ごめんね、って言っちゃうんだと思う。



 ずっと特別だった。4年半の中で、特別じゃなくなった日なんてなかった。一番と呼ばなくなった時期はあった。もう嫌いだって言ってブロックしてた時期だってあった。本当に本当に、特別すぎて全部空回ってたのかもしれない。 わかんないけど。
 私の根っこを作ってくれた人、私に感情をくれた人、私の世界に色をつけてくれた人。私はあの人の持つ色でしか世界を見れない。あの人を通して見る世界しか知らない。それ以外の世界には、きっと多分、興味がない。



 中学の頃、部活は1年で辞めた。吹奏楽部だった。音楽の楽しさを、本当の楽しさを、あの人が教えてくれたから。音楽を心の底から楽しむ人の姿をこの目で見てしまったから。私はこの場所でこうはなれないと思ってしまった。どうせ音楽をやるなら、この人みたいに楽しくやりたいと思ってしまった。

 高校も1年で辞めた。やだ、私1年で辞めすぎ?
 中2の頃からの冬季うつが本気出してきて、身体が動かなくなった。何も考えたくなくて、唯一仲の良かったクラスメイトに毎日頼ってた。色んな面で頼りすぎたせいで今はもう連絡が取れない。その子のことを私は大好きだった。ずっと大好きなんだと思ってた。けど時間が解決してくれた。もうモヤモヤもしない。きっと大丈夫。あの子には、あの子なりに幸せになってほしい。あの子が幸せになれるかは別として。

 1年ほど前に東京に来た。暮らしにくいところだと思った。呼吸がしづらい。複雑に入り組んでて、なんだかずーっと嫌な感じがする。生まれ育った地に比べると変な人が多い。こわい。でも楽しかった。ここがあの人の生まれた場所。ここがあの人の歩いた道。あの人のいのちをつくった、世界でたった一つの場所。それが東京だった。田舎者の私からすれば、所謂「憧れの場所」だった。



 理由が全部あの人になった。あの人のため、あの人がしていたから、あの人が好きだから、こうすればあの人はきっと喜んでくれるから。
 でも覚えられたくなかった。私のこの好意を知られたくなかった。たくさんの経験の中で、いつかこの熱もまた冷めることを知っていたから、冷めた時を知られたくなかったのもあった。自意識過剰ではあるけれど、本当に記憶力が良い人だから。あの人の記憶の中に私はいなくていいな、と。私のことなんて知らないままでいいと思った。
 私のことを覚えるなら、最近あの人を知った可愛い女の子とかを覚えてほしいと思った。覚えられなくたって会えなくたって何も話さなくたって、きっと好きなままだから。大丈夫だと自分に言った。
 実際呆気ないくらいに大丈夫だった。だから今のこの文を書いて、会いたいな会いたいな会いたいな〜〜!と思っている。


 死ぬと思った。名前を呼ばれようものなら、握手をしようものなら、会話をしようものなら、そのまま死ぬんだと思った。あまりにも時間が空きすぎた。最後に話したのはいつだったか、ああそうだあの日は私が大好きですと伝えてしまった日だ。2013年の、11月16日。
 一人で列に並びながら自己嫌悪に陥った。死にたかった、帰りたかった。でもどうしても会いたかった、話したかった。私と、他でもない私と、会話をしてほしかった。最後だと分かっていたから、これで会うのは最後にすると決めていたからそれで良かった。勇気を出した。私の番。


 サインは断った。昔書いてもらったもので十分だった。
 数年前に比べて来てくれる人が増えたことについて触れた。その事実を私も嬉しく思っていることを伝えた。あの人は嬉しそうに笑っていて、多分初めて目を合わせて話せた瞬間でもあった。ああ、この人はこんな目でいつも私の話を聞いてくれていたのか、こんな真剣な顔をして、嬉しそうな顔をして、笑って、生きているのか。
 涙が出そうだったけど、あの人の前で泣くのだけは嫌だったから必死に堪えた。多分涙目にはなっていたと思うけど何も言われなかったから、気付かれていないことにする。

 数年前も来てくれたんだ!と言われた。そうですよ、私は数年前もいましたよ。数年前にも泣きながら見ていましたよ。数年前にも、あなたを。他でもないあなただけを見て泣いていましたよ。そんなこと言えるわけがないから、肯定の二文字だけを音にして返した。

 最後に「これからもよろしくお願いします」と言われた。きっと全員にいつも言っているのだろう。分かっている、分かっているけれど。でも嬉しかった。私の目を見て、私と目を合わせて、これからもよろしくお願いします、だなんて。そんなのずるいじゃない、ねえ、そんなの、よろしくお願いされてしまったら私またあなたのこと好きになってしまうじゃない。終わらせるために横浜まできたのに、なんでここからまた始めなきゃいけないの。意味がわからなかったけれど、幸せなことだけは分かった。やっぱり好きなんだと実感してしまった。


 話したのはほんの20秒くらい。でも一生忘れない20秒。忘れられない20秒。人生の中であんなにも緊張したことはない、人生の中でこんなにも幸せを感じたことはない、そう思える、宝物の20秒。



 私には好きなものがたくさんある。当時は別の声優さんを応援していたんだけれど、「ごめん、私やっぱり戻る」と当時仲良くしてくれていた友達に電話をした。

 ごめんね、ごめんね、私やっぱりこの人が好きだ。今もスマホで打っているだけなのに涙が出る。だいすき、だいすき、だいすき。ただひたすらにだいすきなだけ。ありがとう、だいすき。毎日毎日思ってる。



 2016年はあの人と共にあった。幸せだった。2013年に戻ったみたいだった。でも私はあの頃より大人になってしまっていた。少しだけ、背伸びをするのが得意になっていた。

 好きでいることに疲れてしまった。こんなにも好きなのになんで私はまだここにいるのか分からなくなってしまった。全部分からなくなった、なんで好きなのかも分からなくなった。分からなくなったから、会いに行かなくなった。会いに行っていないのだから、向こうから会いに来るわけもないのだから、2017年になってから一度も会っていない。


 半年経った。どうしても会いたくなった。今すぐ会いたい。会いたい、会いたい。顔を見たい、歌っている姿を見たい。私が好きになったあの人を見たい。見たい。会いたい。そう思い始めたから、今度会いに行く。最後に会ったのが2016年の12月25日。会いに行こうとしているのが来月の16日。
 きっと泣いてしまうのだと思う。分かっている、自分がどうなるかなんて分かっている。会いたくない、会ったらきっとどれだけ好きかを実感して死にたくなってしまう。分かっている、分かっている、けれど、会いたい。会いたいから会いに行く、それだけ、会いたいの、私は今、あの人に会いたいの。

 願いとは、心の道標。希望への輝き。長く果てしない、旅の支え。
 私の願いは、あの人にずっと歌い続けてもらうこと。歌うことがあの人の一番の幸せだと信じているから。あの人がそれが幸せだって言うんだ、私はそれを信じる以外の選択肢がない。
 心の道標は、あの人のそのもの。希望はあの人。夢も、あの人に託した。私のきらきらは全部あの人にあげた。私の分もきらきらしてね、って思ってる。
 長く果てしない旅、あの人への好き。その支え、好きというかけがえのない、特別な気持ち。全部あの人だった。どれもこれも、拾い上げるもの全部あの人に直結してしまった。


 つまるところ、きっと大好きなままなのだ、やめられるわけがない。2013年1月2日からずっと、ずっと、ずーーっと。特別なままだった。変わるわけがなかった。幼かった私を変えてくれた人。私に色んなものをくれた人。色んな感情を、色を、世界を、夢を、希望を、心あたたまる想い出を、素敵な出会いをくれた人。


 もう無理矢理やめようとするのはやめる、きっといつか穏やかな気持ちになって、私もあの人以外の誰かを愛してあの人以外の誰かに愛されることを幸せと呼ぶ日が来る。きっと来る。きっと来るはずだから、その日まではこんな風に大好きなままでいさせてほしい。
 何を捨てても、何が起きても、好きでいることを無理矢理やめようとするのはやめる。諦めることを諦める。しばらく。多分また「あーーーむりーーーー!すきすぎるきらいーーー!!やだーーーー!だいっきらいーーーーーーー!(めっちゃすき)」みたいなのこじらせるだろうけど全部冷たい目で見ておいてください!もう諦めてる!いつもの病気!ただの病気!



 いつか会えなくなる日は来る。いつか、幸せの形が変わるときだって来る。だからそのときまで、会わせてほしい。幸せを、幸せそのものを「あなた」と呼ばせてほしい。きっとどこにいても心の何処かに響くメロディがあれば、きっと私は大丈夫。


 結婚してようと子供がいようともうなんでもいい!好きでいさせてくれるなら、もうそれでいいの、そんなことで変わるような好きじゃないってことは自分が一番分かってる。


 分かってる、私とあの人が結婚できるわけがないっていうのは分かってる。分かってるけど夢見ていたかった。あの人の隣で目覚める朝を、あの人の声と共に過ごす日常を、あの人と食べるあたたかいご飯を、夢見ていたかった。あの人の腕に包まれる妄想を、愛される妄想を、しないわけじゃなかった。いつか選ばれる日が来るのかもなんて思っていた。いつか、何か天変地異でも起きて私と結婚してくれるんじゃないかな、とか。まあそんなこと起きるわけなかったんだけど。



 これからもずっときらきらしていますように、これからもずっと、笑っていますように。これからもずっとずっとずーっと、音の渦に飲み込まれる日々でありますように。
 他でもないあなたが、幸せな人生を送れますように。どうかどうか、幸せでありますように。そしていつか、いつかどこかで、一瞬で構わないから、その幸せのお手伝いを、少しだけでも、できますように。